粗挽き胡椒から考える世界の流れ
粗引き胡椒を見ると、思う事がある。それは…
「昔は、胡椒は、みんな粗挽きだったのじゃないか?」
という事だ。実際の技術の流れや、胡椒の歴史は知らないのだけど、胡椒が使われ出した当時は、みんな、人の手で胡椒を挽いていて、今のテーブルコショーのように粉状ではなかったと思うのだ。その中で、「もっと粉に、もっと粉に!」という意思があって、今のようなサラサラのテーブルコショーが作れるようになったのだと思う。胡椒を挽く機械とかが開発されて。
「粗挽き胡椒」というのは、胡椒を粉にまで出来るようになってから、その流れから、逆行的に出てきた商品だと思うのだ。勿論、家でも胡椒を手で挽いて、「粗挽き」には出来るのだけど、スーパーで売っている、工場で作られていると思われる商品にも「粗挽き胡椒」があるのだ。つまり、「胡椒を荒く挽くための機械」が作られているのだと思う。
ほとんどの食べ物が、工場で作られるようになって、逆に手作りである事や、胡椒の粗挽きが、一つの商品価値を得ている現代だけど、その前に、機械、工場、万歳の時代はあったのだろうか?つまりは…
「お父さん、やっぱり、工場で作った餃子は美味しいね!」
「そうだのう。もう、人間の作った餃子は食べられないな。」
「まあ、お父さんったら。機械にはかないません。」
みたいな会話だ。余談だが、昨年12月に私は手作りで餃子を作ったのだが、60個くらい作る労力は半端なかった。また、野菜を切ったり、肉をこねたり、包んだり、ほとんど素手で行ったのだけど、自分の手が必ずしも、綺麗なモノだけをさわっている訳じゃない。いや、こんな事を書くと、食べた連中は不快に思うかもしれないが、事実だ。だからこそ、綺麗に手を洗った訳だが、餃子を作っていて…
「人間の握ったオムスビを食べれない人がいるのも仕方がないよな。」
と思った。
「手作り」が最上級という訳でもないと思ったのだ。
ちょっと前、製麺メーカーの「加ト吉」の冷凍うどんの生産ラインがTVで紹介されていた。手作りとはかけ離れたラインだったが、小麦粉の塊を物質として扱い、ほどよいコシが生まれるように、圧力をかけ、湯がき、冷凍する、そのラインは、独特の美しさがあった。加ト吉の冷凍うどんは、外食産業でも使われているらしい。「中卯」とかそうなのじゃないかと、勝手に思った。
冷凍食品や、工場で出来た食べ物を食べる時に、一種、背徳感があるが、それは、地球環境問題等々、エネルギーや二酸化炭素の問題が頭にあるからかも知れない。しかし、無公害で、恒久的なエネルギーを手に入れた時、食品を作る生産ラインは、とても素晴らしいモノに思えるのじゃないか?
とまあ、色々と書いてみたけれど、今のように「手作り」、そして、胡椒の「粗挽き」が一つの付加価値や、商品となっているが、昔は、至極、当たり前の事だったのだろうな、と。多分、餡子とかも、ゆで小豆→粒の交じった餡子→コシ餡とまで、行き着いて、コシ餡の前段階を「粒餡」とか名前がついたのだと思う。
こういう最先端まで行ってみて、ちょっと戻るってのは、最近のゲームでリメイクが多いのに、繋がっていると思ったり、思わなかったり。
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