どんどんと失っていきます。
はじめに。
暗い話です。
家族
少し前に、Hatenaの方では家族の揉め事をボロクソに書いてました。結果として、父親とも、兄との関係もぶっ壊れました。ブログに書いたことがキッカケじゃあなくて、ブログに書くに至ったことがキッカケです。
どういうことなのかの詳細は書きませんが、生きていくということは、力(金や暴力)を持っている人間の横暴を、見逃していくことなのかな、と。
私は、雇用されてないという意味で働いていません。ブログや、ユーチューブを更新するのは、収入を得るためです。その収入は、少ないです。なので、社会的立場はありません。
なので、父親が暴力をふるっている様子の、焼き付いた記憶も、兄による暴力や、暴力に類するものが、私の人生に暗い影を落としたのも、きっと文句を言うのは、お門違いなのでしょう。
多くの人が「仕方ないこと」、「なかったこと」と流していることが、相手を完全に屈服させるまで、それができないからこそ、ずっと忘れずにいるために、私は、家族を失っていくでしょう。
私が、執念深く、それが病的であるという自覚はありつつ、あえて問い続けていきたいのは、なぜ、殴った。そして、それをなぜ許されたと思った。
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友達
家族の話題ほど、こじれたことはないですが、新しく友達を作ることが苦手な私は、どんどんと知り合いが減っていくばかりでしょう。しかし、前述までの家庭内の揉め事などが起きた時に、血縁とは別の人間関係というのは、とても大事で、心が救われる部分があるのです。
それらが失われた時、私はどこに行くのだろう。
可能性
人生が詰みます。
今、ユーチューバーとか、ブロガーを目指している人が、どれくらいいるのかは分かりませんが、確実に言えるのは、年をとるごとに、可能性は失われるのだな…と。
実際には「新しいことに挑戦する気概」が失われていくわけで、ブログにしろ、ユーチューバーにしろ門は常に開いているわけですが、挑戦心みたいなものは、どんどんと失われます。
生命
何歳まで生きるんやろうか。
人間は独りでは生きていけないなんて言葉もありますが、色々なものを失っていくなかで、自他ともの「死」が思い浮かんで来ます。
私は数年前に「どれだけ誰に迷惑をかけても、絶対に死なない」なんて金言を頂いて、自分から死ぬことは絶対にないわけですが、生きている度に、命というものは、失われていきます。
おわりに。
このようなことを考える時、このようなことを昇華して、消化するために、小説を書いていたのかもしれない。
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