後悔と懺悔。
はじめに。
最近、めっぽう色んな人から信じて貰えない感じがあります。やっぱし、パチスロとかする人は、その人格を信じられないもんだろうか。
後悔。
もしくは、慢心との繰り返し。数年前のような気もするけど、実際には、時間の感覚もあやふやな頃。私は、こんな人生を送っているけど、だいたい正しい判断をしてきたと思っていた。
ただ、全てが正しい訳じゃあなくて、時間が経った時に明らかに自分が間違っていると思い直すこともある。実は、私の人生なんてものは、全部間違っていたのじゃないか?とさえ、思ったりもする。
それは極端であったとしても、間違ったと思ったことは謝罪したいと思う。なぜなら、私の親や兄弟、親戚などは「謝らない」人間がとても多いからだ。
「悪かった」とか「申し訳ない」は、私は謝罪だとは思わない。相手が目上だろうと、目下だろうと、年齢関係なく「ごめんなさい」あるいは、「すみませんでした」が謝罪じゃないだろうか。特に「ごめん」を絶対に言わないヤツが多い。
私は、ともあれ間違いを認め、謝罪することは、良いか悪いかで言えば「良いこと」だと思っていたが、それも間違いなのかもしれない。
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信頼。
自分が信頼される人間かどうかは分からない。しかし、例えば、演劇に関しては、その時にできる最高の、最低限のパフォーマンスを目指そうとする。少なくとも、途中で企画をぶっ壊すことはしない。「中止した方がいい」という判断はするけど、やると決まっていて、宣伝も行われているものは、流石に、壊そうとはしない。
それは、とても、普通なことなのかもしれない。しかし、私は精神的に不調になった時に、てんで能力を発揮できない状況になる。少し前で言えば、父親と実の兄を殺すか、自分が自殺するか?というような心境になっていた。
その時は、演劇の稽古においても、正しいアクションができてなかった。「父親」とか「兄」というキーワードが、着火点となり、私の精神が乱れまくった。
誰しもそうなんだと思う。しかし、私は心がダメになってしまうと、本当に身動きがとれなくなり、もともとの能力を発揮できない状態になる。
懺悔。
謝りたい気持ちになる。前述の殺そうと思っていた父親や兄に対しても、「謝った方がいいのじゃないか」と思うようになった。子供を殴っていた父親と、弟をお風呂で溺死させようとした兄。溺死とは、湯船に頭を押さえつけて、ギリギリのところで引き上げて、空気を吸ったら、また頭を押さえつける溺死ごっこのようなものである。
その溺死ごっこ以外にも、兄からの暴力はあったと思うが、詳しいことは覚えてない。そんなヤツらに何を謝るのか?と言えば、謝ることで、自分の精神のバランスをとろうとしているのかもしれない。
あるいは、また別の懺悔が、頭の中で繋がってしまったのかもしれない。
謝ることは、それだけで見ても正しいと思っていた。しかし、信頼を失った状態での謝罪は、汚い駆け引きの一環と思われても仕方がないのかもしれない。
謝る前に、わりと詰んだ。
おわりに。
「どうして信じて貰えないのか?」と思うことが増えた。ただ、私は卑怯で卑劣な部分や、屈折した部分も多く抱えている。だから、信じて貰えないというのも仕方ないかもしれない。
しかし、本気で話していることも、信じて貰えないことが多い。数年ぶりに「自分死ぬかも?」と思った日々があったのだが、その嵐は過ぎ去ったが、まあ、実家を出て、どっか行った方がいいんだと思う。
去年の夏頃までは、ブログの収入も、多かったんですがねえ。お金があれば、自信を持って生きていけるかも?
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