パワースポット出雲神社(亀岡、京都府でベスト5に入る?)に再び行く。
最近、スピリチュアルだとかオーラだとかが流行っているが、懐疑的な人も多いと思う。だから、「パワースポット」とか言っても、「アホがッ!」って思われるかも知れないが、別に私自身もスピリチュアルとかを信じている訳じゃあない。だけど、パワースポットは感じる事が出来る、と思う。
そう、信じる・信じないの前に、感じる・感じないという次元があり、その感じる部分を無視して、信じる次元に飛び込むと、一番大切な感じる事が出来なくなるかも知れない。私は、出雲神社がパワースポットである事を知ってから、何年か前に訪れたのだが、それらをさっぴいても感じる事が出来た。ゾクゾクした。パワースポットというと、何か霊的な力を想像するかも知れないが、別にそうじゃあない。パワースポットが存在するパワーエリアに入ると、空気が冷たくなる感じがする。それは、そのままで森の中に入るから、空気が少し冷えるのだ。そして、太陽光のバランスや、河、滝、大きな石、それらが醸し出す「いい雰囲気」、それを感じる場所がパワースポットなのだと思う。
さらに言うと、出雲神社はかなり昔からあり、「その場所に神社を建てよう」と考えた、当時の人の考えや意思、理由がその地に残っている筈だ。だから、それらを感じる事が、パワーを感じる事でもあるのだと思う。さらに、神社が存在しているのだから、現代人には分からない「特別が理由」があったのかもしれないし、それを今感じているのかも知れない。
そして、パワースポットには大きな樹がある場合が多いと思う。その樹が大きくなった環境条件等々も人間にとって、よく感じられるのじゃあないだろうか。
そんな事を考えた出雲神社の風景写真が以下から。
周囲の風景。

パワースポットの看板。専門家が言うには、このエリアは半端なくパワーが強い。

パワースポットにある大きな石には銭が挟まっている。銭を挟まずにはいられない人が多いのだろう。

パワーエリアの一角にある樹。私は、この場所もパワースポットだと感じたのだが、近づいてみると、ちょっと陽光が多すぎたのかも知れない。

そんな感じで出雲神社でした。京都市内には沢山神社仏閣がありますが、パワーレベルはそんなに高くないらしいです。それは、自然がどうこうよりも政治的意図で立地が決められたからじゃあないかと。パワースポットというのは、信仰とかとは関係ないのじゃあないかと。自然の発するエネルギー、気候、それらがよい感じの場所がパワースポット、そう考えてます。
既にこの文章でも、宗教色が出ているかも知れないけど、大切なのは、「感じる事」、そして、それを言葉で表現してみる事。その方が、根拠なく信じない事や、先入観のみで信じるよりもずっと大切なのじゃあないかな、と。地形も環境も、植生も多様な訳だから、何か良い条件の場所があってもおかしくないだろう。まあ、自然に触れたとき、山に登った時とかに、「気持ちええなあ。」と感じるだけで、十分にパワーを感じているのだろうな。うん。
ブログ村ランキングです!
応援お願いします!
にほんブログ村
↑ジャンプ感想ブログランキングもチェックできます!
スポンサーリンク
でも、現代は、それすら失われている気がするなぁ。
スポンサーリンク
読んで欲しいです!自薦記事。
この記事の前後の記事。
同じカテゴリ内の前後の記事。
そろそろ別のサイトへ→
退出口