人生中二病~今死んでもよい、死にたくない、生きる覚悟、生きねばならない覚悟
このブログは真面目な事も時々書くけど、下ネタやネタも沢山書く。真面目な事ばかり書いていても、楽しくない。だが、下ネタとかを読んで、ドン引きになる人もいるだろうな。その人にとっては、何を書いても、ドン引きかも知れない。誰でも読めるこのブログだけど、精神的な敷居を設けているとすれば、一部だけ見て全体を否定しない、一つの中の色々な要素を楽しんで欲しい、等々だ。それは、私に欠けているモノかも知れない。何しろ、すぐに人の事を嫌いになる、非難する。
そして、これから書く内容は、「ついていけない!」という内容かも知れない。だが、電車の中で涙ぐんでいた。これを、『人生中二病』という事にする。
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7月22日。
呑み会の帰り。JRの電車の中。昨日の事を振り返り、思ったのは、「嗚呼、今、死んでも後悔しないのだな。」という事だった。当然だが自殺とかじゃあない。その気持ちを分析してみると、以前にも同じ事を書いた気もするけど、『今は向かっている途中だが、精神的に前向きにいる。だから、死んでもよい。』という事だった。精神的に後ろ向き時に、死んでもよいのかも知れないが、暗黒の4年間の時に、死んでいたら、すごく後悔したと思う。いつまでたっても、出来なかった就職が出来て、夢や理想があり、そこに向かっている。今、死ねば志半ばという事になるけど、事故とかで死ぬ事もある訳だ。この事を考えていた時だって、電車が脱線して死ぬかも知れない。
だが、死んだとしても、話せていない大事な事はあるけど、「ナカノ実験室はこんな事考えていたのやで。」等々が話されて、涙が二粒以上は零れるかも知れない。
突発的に『死ぬ』とか『殺される』事はあると思うが、向かっている途中でも、後悔はない。それは、今、家族と一緒に住んでいても、人生のフェイズにおいて独りだからなんだろう、な。ちょっと未来の事を考えた。
結婚したら、子どもが出来るだろうな。また、それ以前に、伴侶が出来て、『死ぬ』のは仕方がないにしても、『死ねない』という気持ちが出てくるだろう。子どもが生れれば、なお、だ。生きる、生きねばならない、守る、色々な覚悟や思いが浮かんでくるはずだ。そして、伴侶や、子どもが出来れば、その時に、「今、死ぬ訳にはいかない。」という気持ちが出てくるのだと思う。想像しても、そう思った。お金の話は即物的だけど、それも大事だ。そして、どんな形であっても、死んだ時に、確実に後悔がやって来る。そう思う。
人生の第二フェイズに入門した私は、しばらくは、死んでも後悔しないのだろうけど、第三フェイズの入門を目指しているのだろう。やはり、プラネテス、か。どんどん、
このブログらしくなって来た。
その延長で、今度は、結婚とか幸せについて考えてみた。
結婚が幸せという訳ではない。また、好きになり方や愛し方は人それぞれだから、それらを批判する事は出来ないのだけど、結婚や幸せというのは、「自分が何がしたいのか?」、「相手に何をしてあげたいのか?」の融合だと思った。これは、印象なのだけど、最近は、前者の「自分が」の部分の比重に重きが置かれている気がする。これは、究極的には、「金があれば誰だって良い。」みたいに繋がる。該当インタビューで、結婚の条件で、「年収1000万円以上♪」とか言ってしまうような・・・。だが、それは、母性としては正しいと思うのだが・・・。
とかく、「自分が」の部分だけ重視していると、付き合うにしても、「カワイイ女の子とセックスをしたい。」という「自分がしたい事」を重視になったりしないだろうか?それはそれで大事なのかも知れないけど、愛とセックスを混同しがちで、愛に基づいたセックスもあるかも知れないけど、それは、私の考える恋愛感とは大きく異なる。
「相手に何をしてあげたいか?」というのは、尽すとかとは、ちょっと違う。行動や手段だけじゃあなくて、大元は気持ち、かな。「幸せにしたい。」という気持ちに基づいて、何をするのか?何が出来るのか?という事を考える。私の場合は、考えられる全ての可能性、選択肢を理性の範囲で搾り出し、その中で最善で最良の選択肢を見つけ出そうとする。情報収集も、出来る範囲だが、する。
それが人によっては、「重い」とか、「尽す」とかに映るみたいだが、今、思えば、ごくごく普通の事だ。「重かろうが軽かろうが、最終的には愛するのだろう?」と思う。
話がちょっとそれた。
また、別の言い方をすれば、「自分が」は、「幸せになる。」であり、「相手に」は「幸せにしたい。」となる。そうなると、幸せ関しての、私の中で現在、最上級、「一緒に幸せになろう!」というのは、かなり難しいという事が分かる。自分と相手がやりたい事を融合させ、さらに、そのために相手に何がしたいか?何が出来るか?という事を融合させて行く。それらが運命的に合致するかも知れないけど、そうでなくても、話す事で融合していくかも知れない。とかく、「自分が」の部分だけ推し進めるのは、私の考える幸せに到達出来ないと思う。まあ、私は、「相手に」の比重が重い気がするけど・・・。
子どもが出来た時も考えた。「仕事」、「家庭」の比重が大切なんだろうな。「仕事」に没頭して、「家庭」をないがしろにしたら、ダメだろう。また、仕事が忙しくなれば、家庭で過ごす時間も減るだろうが、大事なのは、家庭の時間を如何に有効に使うか?だと思う。休日の家族サービスとかじゃあなくても良いと思う。大事なのは、時間の長さじゃなくて、時間の質だと思う。これは、恋愛とかでも一緒で、遠距離恋愛が成立している理由かも知れない。そう考えると、距離なんて殆ど問題ないかも知れない。まあ、毎日会ってないと不安な人もいるだろうけど、私も、そんなタイプだけど。
死ぬ時の事も考えた。老衰が、最良の死に方なのかな。眠りに落ちるように死んで、その時には、愛した人が傍にいて。自分の遺伝子や模倣子は確実に次の世代に残っていて、1人の人間が出来る事は、全て行った。そんな感じかな。今でこそ、毎日ブログを書いているけど、いつの日か、日記を書く事をやめて、自分の人生のまとめをつけだす日が来るのだろうか。
死ぬと行っても、順番があるだろうし、傍にいてくれるとも限らない。それは完全に、運命の部分だから、どのような状況になっても、後悔しない心境になっていれば・・・。また、志半ばでも、後悔しない日々を遅れれば・・・。
一日臨終という言葉がある。明日死んでも後悔しない生き方、だ。この言葉は、確か、中学校の美術の先生に教えて貰ったのだったと思う(違うかも知れない)のだが、当時は、「しんどそうやな。」と思ったけど、今は、その意味が分かる。3時前までブログを書いているのは・・・?まあ、昼寝をやったりして、眠れないのも・・・。
私は、人生の第二フェイズに入門するのに26年かかった。だが、それでいい。彼女とかも全然出来なかったし、もてない。だが、それでいい。簡単に成就しない方が、精神的な成長に繋がったのかもしれない。だから、それでいい。
プラネテス的表現。
今は、木星がどこかも分からないし、木星に到達する方法も船も分からないけど、今は、月に向かおうとしている。もう船は出たのか?いや、燃料の調達や船の整備中かも知れない。今、イグニッションしても、地球重力を振り切れるか分からない。その結果、空気中で爆散するかも知れない。だが、実は、船の準備は出来ている?見極めが必要だ。
月に到達出来ないかも知れない。だが、それで心が折れる事もないと思う。悲しくはなるだろうけど。でも、社会人となった今、テンションコントロールは、以前より上手くなったと思う。wktkという言葉を日常的に使う(リアルでも)けど、それは、生活を豊かにしたり、幸せになったり、幸せに出来たり、一緒に幸せになれたりする事に繋がる魔法の呪文。そう思っている。
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