死について考える(電車モブログ)
脱線事故の報道を見ていて、死に関して疑問に思った事がある。
人はいつかは死ぬもので、死ぬとお葬式になる訳だが、そのお葬式に集まる人達は、どのように故人の死を知るのかという疑問がある。
事件に巻き込まれる等して、テレビに報道されれば、これ、遠方の友人まで知れるだろう。しかし、自殺ぐらいじゃ新聞にも載らないかも知れない。…その場合は、遺族は可能な限り故人の知り合いに連絡するのだろうか?携帯のアドレス帳に入っている人には電話するのだろうか?
その場合は、故人の携帯で電話をかけてはいけない。本人だと思ったら、死を伝えられるというのは、残酷だろう。それを考えると、アドレス帳の自動消去機能とか欲しくなる。使わないアドレスは一定期間が過ぎると消去されるのだ。
…思うに、人の死は重たいもので、現在は1日の中で記憶の端にも登場しないような人間の死が、携帯電話に登録されているというだけで知らされるとしたら、迷惑だろう。少なくとも、香典で出費は増える。
そう考えると、アドレス帳は定期的に掃除したくなる。
お葬式に集まった人の数が故人の人徳という。
さて、現代において、ホームページやブログでの匿名の知り合いもいると思うのだが、匿名の知り合いには、お葬式の連絡は行くのだろうか?
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