鬱、じゃあないけど、心の話、「結婚しない」という選択肢
2008年3月22日の観劇後から、23日までのザックリした流れ。
・後輩と呑みに行って、「おごってやる」という申請が拒否られる
4月から東京に行く後輩と、京都にいる後輩と呑んだのだけど、給料の安さや、残業代がでない事とかを話していたら(仕事の事しか話題がなかった)、会計の時に、「今日は最後だから、おごってやるよ。」という申請が拒否られた。なんか、地味にショック。具体的な給料の額面は、言ってないのだけど、かなり困窮していると思われているのか?イメージとしては、一人で暮らすには問題ないけど、結婚は出来ないくらい。まあ、結婚出来ないってのが、絶望的なのだけど。
後、確実に、後輩達の方が高給取りになるだろうしな。これは、人生を真面目に考えなかったツケだけど・・・。大学に入って、同い年なのに後輩、年上なのに後輩、なんて事がショックだったけど、社会人になると、給料の事とか気になるよね。だけど、ここにいる自分、そうなる選択をしたのも自分な訳で、自分は、それしきの人間だったって事だろう。
・やみいち行動の会議
呑みを行っていた関係で、途中参加になったのだけど、次回行動は、7月頭になる予定。その行動の演目についての会議だったのだけど、ある程度、アイデアは出てきた感じ。私としては、若き日に観た、やみいち行動のカオスを復活させたいと思っている。
・兄夫婦の家に行く
3月23日のこと。家がたって随分経つのだけど、行くのは初めて(私は)。その結婚生活を見ていて、出た答えは、「俺って結婚するの、無理だな。」だった。蟹料理を山程食べたけど、蟹って食べていて疲れる事が分かった。
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以下、色々、考えた事。
俺が就職した動機は、好きな人がいて、また、色んな人に対して、「胸を張って気持ちを伝えられる」ようになるためだった。そう考えたのは、色々あったのだけど、その選択の逆の選択は、アルバイトとかをやりながら、最低限の収入を得て、好きな事をやりながら、ダラダラ生きて行くだったのだと思う。しかし、精神的に最低の、本当に、鬱、ニート、引きこもりと、一人社会問題を実践していた大学院時代の事を考えると、動機は不純だったが、なんとか、会社員になった事は、大きな成長だと感じた。今の社長に出会った時は、救いの主が現れたと思ったものだ。
しかし、その動機の部分が消失した今、働く事に意味があるのか?と思えてきた。また、就労時間に対する給料を考えたら、胸を張って気持ちを伝えるなんて事は出来ない気がする。まあ、その相手もいないのだが、今まで、バイトらしいバイトをしていなかった私にしては、今の給料は、結構な額で、お金の使い道がないから、パチンコとかやっている現状を考えれば、一人で生活をする分には、多分、問題のない金額だと思う。
だけど、結婚とかを考えた時に、今の仕事ぶりと、仕事内容と、給料じゃあダメだと思う。また、転職をするにしろ、今の職業経験が評価されるとも思えない。一言で言えば、「会社でやる人がいない事、できる人が足りない事をやっています」という感じか。一言で、「営業です」とか言えないのが、苦しい。その時に、本当に結婚を考えるなら、以下のような事を考えないとダメだろうな。
・営業職に転身。
・早いうちに転職する。
・家業を継ぐために、電気の勉強。
こんな感じか。だけど、モチベーションがない今、どれも、やろうという意志は出てこない。人生の大切な選択、動機を、外部に頼りすぎているな。でも、楽観的に考えれば、絶対に社会人になれない!と思っていたけど、なれたし、結婚だって、30過ぎたくらいで出来るかもしれない。
まあ、仕事に関しては、そんな事を考えていた。
次は、やみいち行動の事。
私が若い頃に見た、やみいち行動の第12回行動「ぜんざいの耐えられない甘さ」という作品があるのだが、それは、世界の終末がテーマになっていた。その頃の、やみいち行動の印象が強くて、その頃のテイストを自分でもやってみたい!という気持ちがある。
次回行動の会議の時に、その辺の話になって、「世界滅亡」という事を仮に、テーマなり、題材にした時に、何か、全然、実感もないし、題材的に面白いとも思えないし、新鮮でもないと思った。まあ、色んな事で使いまわされているからかもしれないけど。でも、1999~2001年くらいは、特に、1999年なんて、ノストラダムスとかもあった訳で、なんか、もう少し、「世界滅亡」とか、そんなのに大して、考えていたと思う。
これは、私が年をとったからか?それとも、働き出したからか?石油とか、小麦粉とか、戦争とか、二酸化炭素とか、温暖化とか、結構、絶望的な事は渦巻いているはずのなのに、それが、終末に結びついているかもしれないのに、何か、そういう事を考える感性が鈍っている気がする。
そんな中で、メンバーの一人が・・・
「終末は意識していないけど、何かが蝕まれている感じはあるなあ。」
みたいな事を言った。確かに、何かが蝕まれていると思う。なんだろう、もう世紀末でもないし、新世紀と言っても、2008年だし、「終末感のない終末」、そんなのがテーマにならないかな?と考えた。けど、考えただけで、発言しなかった(タイミングを逸した)から、次回行動に反映されるかどうかは未知数。
でも、植物の種子版のノアの箱舟みたいな物が建設されている。だから、本当は、じわじわと終末が近づいているとも考えられる。以下、参考記事。
来るべき未来のため、あらゆる植物の種子を集めた「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」 世界が滅亡して、生き残った人々が、この貯蔵庫から種子を取り出すような、そんな目的で作られてる施設なんじゃあないかと。
2008年2月23日(土曜日)
兄夫婦が、蟹のコース料理に招待してくれて、そんで蟹を疲れるほど食べたのだけど、蟹よりも、色んな事がショックだった。兄の家を訪れたのは、初めてだったのだけど、なんかね、結婚というものの壁をすごく感じた。いや、多分、普通の事が普通に出来る人には、壁でもなんでもないのだろうけど。そもそも・・・
・結婚する相手がいない。
・好きな人もいない。
・今の給料で結婚する自信がない。
という前提条件もある訳だけど・・・それでも、壁を感じた。本来なら、出来るはず、出来て当り前の事が出来ないと、絶対に結婚できないと思った。そして、それが出来ないと感じた。そこで、考えたのは、そもそもの条件すら整ってない訳だから、「結婚しないという選択」もありなのじゃないだろいか?そんな事だった。そう考えると、非常に楽になった。収入が下がっても、自分一人が生活するに耐える給料を貰って、自分の時間を作る事だって出来る訳だ。会社にいる時間を給料で割ると、自給が600円代になるしな。
今の現状を変えるには、努力が必要なのだけど、「結婚しない」なら、努力なんて必要ないし、この日、努力がすっげー嫌だった。これまで、努力とは、無縁の人生だったからな。感性の余力でだましだましやって来た感じかな。
40歳くらいになっても、漫画とネットとゲームに興じている自分が想像された。多いなる、「ナカノ家の負債」となるな。金額的な事じゃあなくて。兄夫婦と両親と、新しい、ナカノ家の広がりを感じた時に、なんで自分がここにいるのだろう?と思える。どっか行った方が円満なんじゃね?と。大学院を4年いっただけで、自分の人生を負債に思えるなんて、やはり、あの4年間は狂っていた。楽しい事もいっぱいあったのだけどね。
なんか分からないけど、無性に一人暮らしがしたくなった。
ここ二日間は、非常に考える事が多かった。多分、この後、たいした人生にならないのだろうな、という思いが広がった。後、多分、私の給料でも、節約すれば結婚とかは可能だと思うのだけど、『収入と精神はある程度、相関していて、だけど格差の下にいるけど、学歴があり、精神的に高次元にいる自分』とか、端的に書くと、こんな感じの考えが、色んな事を阻害していると思う。すっごく差別的な考え方なのだけどね。変なプライドというか、社会的に対した位置にいない自分は、対した相手と結婚出来ないだろうな、と、そして、自分は、本当に好きにならないと動かないだろうな、とか。だったら、今まで好きになった相手は何だったのだろうな?半端に金を持っているのは、ニートよりも性質が悪いかも。
今後の人生、どうなるのだろうか。何かをやらないとダメだと言う事は確かか。どうせだったら、好きな事をやろう。やみいち行動も、その一環なのかな。
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