冷静な狂気、計画性~秋葉原無差別通り魔事件
社員旅行の二日目に昼食を食べ終った時に、社長が何か語りだして、その中で、例の秋葉原の事件も出てきた。その中で、営業さんの一人が…
やれ、
犯行直前までメールをしていた。
だとか、やれ、
何回も現場を下見をしていた。
とか、そんな事を言っていた。
その事が、ずっと気になっていたから、なんとなく考えていたのだけど、なんか、一つ答えが出た気がしたから、記事にしてみた。
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私が、大学院生だった頃、特に、4年のうちの後半2年は、いままでの人生で、一番鬱でダークな時期だったと思う。一つ覚えているのは、ゼミ発表の直前、緊張の限界の中で、せわしなく携帯でメールを書き、モブログをしていた、という事だ。
2年くらい前には、もっともっと、極限的な状況で、モブログしていたな。あれ?三年前かな?パンドラの鐘という芝居の稽古に参加するちょっと前か。
その時の、心境は、メールは打っていたけど、全然、冷静じゃあなく、狂気に近かった。
掲示板とか、ブログとか、誰もが情報発信者になれる時代だとか言うけど、街中で声をあげるのと、ネットに声をあげるでは、ちょっと違う。いや、大分違う。ブログなんて書きまくっても、コメントなんて早々つかないし(当社比)、掲示板もリアクションがない時もある。だから、ネットに声をあげる事は、満たされたようで、本当は、乾いている、その連続のようなものである。
仮に、リアクションがあったとしても、それすら、実体は分からない。
だとしたら、犯行直前まで、ネットに書き込みをしていた事とか、別に冷静ではなく、何かに追い立てられるように、自分を鼓舞していたのではないだろか?
後、現場の下見だとか、凶器の調達の計画性の話だけど、それらが、丸っぽ狂気に包まれていたという事だって考えられると思う。下見をしたり、道具を調達したり、その冷静さ、があるとしたら、それの方が怖くないだろうか。
爆発して、小型の爆弾やら、地雷をばら撒く爆弾も、多分、すっげー頭のよい人が設計するのだと思うのだけど、物凄く、冷静に仕事をしていると思う。だけど、その結果や、その様は…。
というようなことを考えた。恐ろしい事件を、恐ろしいで留める、分からないと言い切ってしまう、その方が、きっと、健康的なんだと思う。こんな内容の話を会社の朝礼でやったろうかな?と思ったのだけど、こら、没だな。
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