タモリさんの弔辞が白紙だった理由-気になったニュース
タモリさんの赤塚不二夫さんの葬儀で弔辞は、すごい感動した。いや、感動っておかしいのかもしれないけど、リアルタイムで見れなかった私は、文章で読んだり、もしくは、妖都辺で見たりして、じんわりと泣いていた。 2CHの転載ブログの中で、「おお泣きしないのがタモリらしくてよかったな。」ってのがあって、大いに共感。また、最後の方は、ちょっとだけ声がかすれているのだよな。うん。
そんなタモリさんの、弔辞だけど、持っていた紙が実は白紙だったんじゃないか?という話があったのだけど、今日、その話の真相をネットで知った。以下、引用とリンク。
タモリは、「シェー」などのギャグで知られる漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀で弔辞を読み、その内容が良かったとか、実は手にした紙は白紙で「勧進帳」だったのでは、と話題になっていた。そこで聞いてみた。
すると、やはり白紙を手にした勧進帳だったのだそうだ。タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうだ。
タモリに聞いた 「赤塚弔辞」白紙のワケ -J-CASTテレビウォッチ なんとギャグだったようです。しかし、白紙の紙を持つのがなんでギャグなんか、よく分からないです、というか、勧進帳って何よ…Wikiから引用すると…
寺院、仏像等の建立などに必要な費用の寄付を求める際に使用した趣意書
勧進帳(かんじんちょう)とは、歌舞伎の演目の一つで、能の演目安宅を歌舞伎化したもの。歌舞伎十八番の一つで、松羽目物の先駆けとなった作品である。
という感じで、その内容に…
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の安宅の関(石川県小松市)での物語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる。
勧進帳 -フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 という部分がある。つまり、「なんでもない巻物をそれっぽく読む」=「白紙の紙を持って弔辞をする」という訳か。
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でも、まあ、それじゃあ、高尚なだけで、ギャグというか、なんというかだけど、冒頭で紹介した記事の一説より…
ところで、勧進帳のどこが「ギャグ」で「落ち」なのか。タモリは言った。「オレのマネージャーの名前がトガシ」。
と、トガシ…。
いや、まあ、関係ない。
しかし、マネージャーの名前と、勧進帳の登場人物の名前が同じだからって…なんつーか、こじつけというとアレだけど…照れ隠しなんかな?とか思ったり。
しかし、ある程度、考えていたにしろ、8分間もの間、メモなしで話すなんて…話す仕事をしている人、しかも熟練のタモリさんは、すげぇなと改めて思いました。
後、弔辞がこれだけ話題になっているのは、変だ、なんて意見をネットで見たような気がするけど、みんな思った事を素直に書いている結果なんじゃないかなと。人の死で、人生の深みや重みを改めて感じたような、そういう感覚だと思える。
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