葬式に泣けない『葬式慣れ』という悲しい能力~トラックバックテーマ 第1100回「大泣きした思い出は?」
去年か、何年か前、いつの頃からか、「葬式で泣けなくなっている…」という事に気がついた時がありました。今回は、その事に関してみようかと。葬式で泣けなくなった事を「葬式慣れ」と呼んでいます。
後、FC2トラックバックテーマにも参加します。
こんにちは!トラックバックテーマ担当の藤本です! 今日のテーマは「大泣きした思い出は?」です
はい!皆さん!
…今まで一番泣いたのはいつでしょうか??
どんなときでしょうか最近である方はちょっと辛いかもしれませんorzけれど過去の記憶が長いほど意外に『今...
トラックバックテーマ 第1100回「大泣きした思い出は?」
先ず、大泣きした思い出。ぱっと思い浮んだのは、中学まで一緒だった友人(悪友?)が死んでしまった時。私が大学3回生で、丁度、お芝居の公演をしていた時。確か、劇団ヤルキメデス第1回公演でした。父親から携帯に電話が入っていて、それを聞いた時に、「マジかよ…」と思ったと思います。
中学校を卒業してから、ほとんど連絡をとってなかったので、正直、その時点では泣きませんでした。「おいおい、公演中なのになぁ。」とかすら思ったような気がします。告別式には行けませんし、お通夜に行く事になりました。
家に帰って、喪服に着替えて、数珠を持って…。自分の近しい知り合いが死んでしまったのは、この時が初めてだったと思います。でも、喪服に着替えても、まだ、泣きませんでした。まだ、実感がないというか。家は近所だったので、歩いて行きました。
お葬式の会場に入っても、泣かなかったのですが、棺桶を前にして…何か知らない間に、膝がガクガクしてきて、気がつけば、次から次へと涙が出てきました。嗚咽すら、漏れた気がします。電話を聞いても、喪服に着替えても、会場に入っても…「死」の実感したのは、棺桶を目の前にした時でした。
声をあげて、わんわんと泣いた訳じゃあないですが、「大泣き」と聞いて、思い浮んだのは、この話でした。
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そして、「葬式慣れ」に関して。
20代も中ごろになると、急に葬式に行くことが増えた気がします。親戚、同級生、恩師、後輩…。正直、親しさの意味では、子どもの頃の友達と、ちょっと違うかも知れない。だけど、どの人も、会って、話した事のある人達だったのだけど、ある時から、だんだんと泣けなくなっている事に気がついた。
一つは、訃報を聞いてから、お通夜やお葬式に行くまでの流れってのが、頭の中に出来てしまったというのは、あるような気がする。なんというか、その部分では、精神が不安定にならない…という感じでしょうか。
後、もう一つは、会社員になったという事(今は辞めてますが)も影響あるかな、と。なんというか、会社員時代で大切だったのは、内と外で突発的に起きた事に心を乱されないって事もあったと思います。なんというか、気持ちの部分が鍛えられてしまったのかな。訃報というのは、外から突発的に起きる事ですからね。
そんな事が積み重なって、葬式で泣けなくなってきました。「読経は仮眠の時間だと思う」と話したら、同僚にドン引きされた事もあります。最近、それはどうかな、と思うようになったので、よっぽどの時じゃない限りは、寝ないですが…。
なんだか、心が冷えた人間になってしまったな、と思うと同時に、これが大人になって行く事なのかな、と考えます。やたらめったら感情を発露させない…というか。今の心境じゃあ、「肉親が死んでも泣かないのじゃないかな」と思った事もあるのですが、それはなってみないと分からないな、とも、最近、考えるような気がしました。
なんとなく以前、ブログに書いた事のあるような気がしますが、まあ、少々の内容かぶりは、ご容赦下さい。
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