向き合うこと、自分の気持ちを伝えること(めだかボックスとスケット・ダンスから感じたこと)
2011年週刊少年ジャンプ9号掲載の『めだかボックス』と『スケット・ダンス』から、感じたことがあったので、記事にしてみました。心の問題…とか、そんな問題です。
向き合うこと(めだかボックス)
黒神くじらさんの台詞より。
向き合ってみないとわからないことってあるよな。むしろ誰も向き合ってこなかったからこそ、あいつらはあそこまで酷いことになちゃったんじゃねーか?
この台詞がとても印象的でした。現実では、マイナス13組の人々のように、マイナス方向に捻じれてしまった人はあんまり関わることはないですが、例えば、社会生活の中で、電車の中のマナーであったり、会社員時代は特に顕著でしたが、考えのあわない人、嫌な人って沢山いました。これまで生きてきた中での処世術は、「なるべく関わらないこと」がベストだと思ってました(今も思っています)。さらに、小学校の時にしみついた「みんな仲良く」という考えが、多くの人を傷つけているのでは?とさえ、思っています。
しかし、今回の『めだかボックス』を読んでみて、「向き合うこと」も大事なのかと思いました。作品の内容のように、善と悪に二別しがたい人間関係のなかで、どっちが良いとか悪いとかは分かりませんが、向き合うことをしなかったら、向き合わなかった方の心の中でも、ワダカマリが生じたり、小さい捻じれが渦となって、精神を蝕んでいくのではないだろうか?社会的な病理の発生源の一つなのではないか?とかも考えました。
20代前半くらいまでは、演劇をやっていた関係で、「向き合うこと」を避けてなかったのですが、30歳になって、基本それを避けて生きていることを、気付かされました。
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自分の気持ちを伝えること(スケット・ダンス)
軽く作品の内容に触れると、9号の話は、引きこもってしまった後輩の友人を救う…という内容です。『引きこもり』という非常にデリケートな内容のため、丁寧に解説されてます。マンガというメディアを考えると、突飛な発想ではなく、普通ともとれる解決策だと思ったのですが、そこは、作家性の部分だと思いました。勿論、実際の主人公達の行動は、十分ドラマ的ですが。
さて、作中のスイッチの言葉を借りると…
当の森野君だって、どうしたらいいかわからないさ。本人一人では、どうにもできないから、閉じこもっているんだ。
ではどうすればよいのか?主人公ボッスンの出した答えは…
こっちの真剣な気持ちを伝える。味方が居るって、自分は友達だって、森野に伝える。それだけだ。
でした。ここを読んで、自分がいかに、気持ちを伝えないで生きているか?というのを感じました。向き合うことを避けているということは、つまり、気持ちも伝えてないって事ですが…。その他にも色々と考えました。なんとなく、「鬱の人に『頑張れ』と言ってはいけない」という考えが(私の中に)浸透してしまっていた気がします。勿論、重度の鬱病が原因で「引きこもっている」人には、そういうのは、ダメなのかも知れません。その見極めは難しく、スケット・ダンスの中でも、「変わらなくてよい」、「無理なら学校に来なくてよい」という感じで、丁寧に描かれていると思います。
やはり、主に会社員時代の影響が強いでしょうか。仕事などは気持ちを込めない方が、円滑に進む事が多かったような気がします。しかし、「自分が作品の中の森野くんと同じ立場になったら?」と考えたら、主人公達の行動は嬉しいと思います。日々、語る言葉で気持ちを避けて生きている気がしますが、「気持ちを伝えること」は、大切だな、と思いました。
おわりに(関連記事など)
このブログを読んでくれている人は、二つの作品はご存知だと思いますが、一応、紹介します。今回取り上げたのは以下の作品です。
以下は、ジャンプ09号の感想の記事です。
なんというか、久しぶりに「青臭い」気持ちになれました。実行していくのは、難しいですが、こういう気持ちを大事にしていきたいです。
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