お別れはブロックで…とプロフにあるのに「お別れ」をブロックでやってくれない件ェ。
はじめに
ちょっとインターネット的な話を。実はツイッターをやっております。そのツイッター作法やマナーに関して書こうと思います。が、ツイッターのルールというか、仕組みというか、人によって解釈が様々なので、そういう部分にも触れますので、話半分で、個人の「愚痴」的なモノで、半歩さがって読んで貰えれば幸いです。
差て。「お別れはブロックで」という表現をよく見かけるのですが、そう書いているのに、私への「お別れをブロックで」やってくれないことがあります。そのことにたいして感じたことです。
ツイッターの仕組み
知っている人は知っている部分だと思いますが、ツイッターの用語を軽く説明してみます。フォローする、フォローされる、相互フォロー、リムーブ、そして、ブロックという感じです。
・フォローする 誰かのツイート(呟き)を自分のタイムライン上に表示させるために行います。タイムラインとは、ツイッターのプラットフォーム的な画面で、自分と、フォローした人のツイートが並びます。
例えば、私が、久保帯人先生をフォローしたら、久保先生のツイートが表示されます。フォローしないと見れない訳ではなく、アカウントがなくても読めます。
・フォローされる 誰かが自分のツイートを読む状態にしたことです。
・相互フォロー フォローする、フォローされるが両想いになると、ダイレクトメッセージという完全に個人間で連絡できるメール機能が使えます。
・リムーブ フォローをやめることです。理由はそれぞれでしょうが、この機能が気軽に使えることが、ツイッターの利点の一つだと思います。まぁ、ショックっちゃあショックなんですが、その部分は否定できません。
・ブロック で、これが今回注目する機能。ブロックをすると、「自分のフォローも切り」、「相手からのフォローも切り」、「今後フォローされることもなくなり」、「相手のツイートも見ることはない」という感じです。ちょっとこの説明では不十分なところはあるのですが、まぁ、ツイッター上では「完全なる拒絶」を意味します。
お別れはブロックで?
ツイッターのフォロー、リムーブ、ブロックの機能は、色々な考えが飛び交うところだと思うのですが、例えば、ヤフー知恵袋にも質問が出ていたりしました。以下のような感じ。
ツイッターでよく 「お別れはブロックで」や 「リムーブだと傷つくので、お別れの際はブロックで」 という発言を見つけるのですが なぜ、リムーブではいけないんですか?
ツイッターでよく 「お別れはブロックで」や 「リムーブだと傷つくので、お別れの... - Yahoo!知恵袋から引用・改行位置修正
そう、リムーブじゃダメなのか?の部分です。これは、私の私見ですが、ツイッターでは、「フォローしている/フォローされている」の比率がとても、重要で、出来れば分母を大きくしたい…と思っている人が結構いると思います。有名人ほど「されている」数が多いです。多いほど、自分のツイートが読まれる可能性が大きい訳です。その他にも、「されている」数は、自分がフォローできる数にも影響してたりします。
ところで、私が気になっている部分は、「お別れはブロックで」と書いているのに、どうして「お別れをブロックで」してくれないのか?という部分なので、その辺りを考えてみます。
・お別れをブロックでして貰う利点。 ともかく、している/されている比率が重要なので、その観点だけで考えると、「自分からフォローしているだけの人」は極力減らす必要があります。数と比だけ考えれば…。
ブロックして貰うと、相互のフォローが両方切れるので、「フォローだけしている人」を探す手間がいらない訳です。ちなみに私は、「自分からフォローしない(ツンデレ仕様)」、「相互が切れた人は親でもリムーブ」という誓約の元ツイッターを始めたので、以下のようなWebサービスで、時々、テェックしています。
Who Unfollowed Me on Twitter? | Friend or Follow 「お別れはブロックで」に関する考えは、色々だと思いますが、比率と手間の観点で考えると、2点ほど便利なことがあります。
・お別れをブロックでしない利点。 これは単純で、相手からのフォローを切らないで、フォローを切るわけですから、「している/されている」の比率を高めることが出来ます。相手が気付いてリムーブしない限りは、「されている」の数を減らさないですむので、数の面だけでは、利点があります。
ちなみに、私は、相互フォローが切れた人以外は、リムーブしないで、基本的にリスト機能でタイムラインを管理しています。「
タイムラインごちゃごちゃ!リスト機能が解決してくれるよ。」で書いてたりします。
心の問題
とまぁ、「お別れはブロックで」にまつわることなのですが、フォロー、リムーブ、ブロックと、一定期間内に過剰に行うと、ツイッターから「スパム」と判断されて、アカウント凍結になっちゃうのですが、まぁ、許容範囲なら、機能は自由に使っても良いと思います。
ですが、私が引っかかっている部分は…結局は、『相手に求めることは、自分もそうする』という私の心の部分に根ざしていることです。機能的にはオッケーだけど、なんか、引っかかる、ざわっとする…という感じです。
結果として、「自分はお別れをブロックでしない」人に利が集中するのも、気になる部分かも知れません。私は、「お別れをブロックで」しないので、数のメリット以上の心理は分からんのですが、前々から気になっていたので、書いてみました。別にその状態になっても、淡々とリムーブするだけなのですが。。。だけど、心がざわっとします。。。
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余談。
ツイッターのプロフィール欄って、インターネット・スフィアによって、流行があるように思えます。「あ、この人はニコニコの人だな。」とか。その中のミーム(模倣子)の拡散の中で、「お別れはブロックで」という常套句が言葉だけ拡散して、機能と、意味は伝播してないのでは?と思えたり。
まぁ、これは、想像ですけどね。。。それでは、また、お会いしましょう。
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