非実在少女のるてちゃん(16次笑の内閣)の感想、足りない視点と演劇で大事な物。
昨日、久しぶりに演劇を観てきました。記事タイトルにある通りなのですが、調べてみると…。
2010年に東京都議会へ提出された東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案において、漫画・アニメ・コンピュータゲームなどに登場する18歳未満のキャラクターを「非実在青少年」と定義し[1]、その性的な表現の描写を含む作品の販売規制を強化する案への反対を訴える内容となっている。
非実在少女のるてちゃん - Wikipedia
Wikiにページがあったので、そこそこ認知度が高い作品なのかも…。東京公演とか、札幌公演?とか、やっているので、全国区な知名度かも知れない。演劇をやっている身としては、チリチリと感じる部分も…。目の前にヨーロッパ企画の上田誠さん(最近では、『ドラゴン青年団』が有名)が座っていたり、演劇に関しては、ある程度、距離感や、付き合い方を決めているハズなのですが、どこかで「俺も日本一になりたい!」みたいな、欲があるかも知れません。
それは、さておき、お芝居の感想です。多分、ジャンプやコミックスよりは、「知らない人は知らない」内容だと思うのですが、Wikiもあるみたいなので、興味がある方は、そちらもご覧下さい。
記事後半から感想です。
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観に行くのを躊躇してた部分。
正直言うと、知り合いが出演していたら、代表の人がファンだったり、また、再演に際して演出が別で立てられたり(知り合い)、観に行く理由の方が多そうなのですが、あまり、気乗りしなくて、お誘いの連絡がFBで来ても、「考えとくわ。」という風に返信して、行きそうになかったのですが、「行かなくて悪いまま1日を過ごすのもどうかな?」と思ったので行きました。
何故、気乗りしなかったか?と言えば、正直なところ、実際に、東京のアノ条例がどのようになり、今現在、どのような効果を発しているのか分からないのですが、明らかにバカバカしいというか、だからコメディの題材になっているのですが…正直なところ、毎日、ジャンプの感想を書いてますが、今、私が社会的に考えていることは、『原発』とか『いじめ(暴行)』とか、そちらの方が強いです。
勿論、マンガや芸術に関する『規制』に興味がない訳じゃあないですが、規制する側も含めて、今は、そのあたりのことは議論を止めて、全員で考えるべきことが、あるハズ…とか、思っていたからかも知れません。
非実在青少年という題材と閉じた世界。
そのような中で、演劇の中で『表現規制』を扱うのは、今、やるのは、演劇という世界が『閉じた』ような印象を受けました。まぁ、この辺りは、観る前に感じていたことなのですが…。ただ、原発のことや、いじめ、暴行のことが、コメディーになりにくく、それを題材にすると、本当の社会派劇団になるのじゃないかな?とも思います。おそらく笑の内閣は、ネットu(ry。
例えば、ジャンプ感想を書いていて、海辺で人をめがけて、花火をやっている様が出ると、PTAから苦情が来るのじゃないか?と心配してたり、表現に関するアレコレはあるのですが…。
単純に話題性という意味では、もっと話題性のある『なう』なこともあるのに、作品の『話題性』というか、2010年というモノを今やる意味…とかも、考えてました。
などと、考えて、観に行くのを躊躇していたのですが、観て、久しぶりに知り合いにあったりすると、手がホカホカしながら、JRに乗る感じになったので、演劇を観るのも良いなーとか、思って帰った訳ですが…。
以下からは、作品の感想です。
足りない視点。
基本的にジャンプ感想では、Disらないというのを基調にしているのですが、それに対しては、ちょっと辛辣になるかも知れません。また、テーマが児童ポルノとか、性犯罪とかにも関連する部分もあるので、考える部分も多いのも、原因かも知れません。
観ていて思ったのは、「視点が足りないな」ということでした。勿論、上演時間というボリュームの問題はあるのですが、表現規制に対して元気に反対するマンガ研究会、規制しようとする政治家、賛成派、反対派の知識人と魔法少女と妖精が主な登場人物ですが、登場人物として出なくても良いかも知れませんが…「自分が描いていることは悪いことだ。」と自覚しながら描いているエロマンガ家とか、それに怯える人とか、はたまた、ダメだと分かっているけどBLとかロリエロマンガを読んでいるから、『規制』がされたら、甘んじて受け入れるしか出来ないであろう声なき声とか…。
多分、元気に反対していたマンガ家さんとか、はたまた、「エヴァは児童ポルノに当たらない!」とか、元気に反論していた政治家の人々とは、別に、声を上げられなかった人々…というのも、少なからずいるはずで…ソースはなくて、印象の部分なのですが、サイレント・マジョリティーなんじゃないかな?と思いました。その視点がなかったです。
後、表現規制と性犯罪の件数などのグラフが出てましたが、正直、インターネットで観たようなデーターが多くて、「まとめページ」を観ている感じで、なんというか、ネタ収拾がWebや声を発する人達で完結していて、そこに現れてなかった声というのが、足りてないように思えました。声に出てこないので、想像するしかないのですが…。
一番、感じてしまったのは、仮に規制をして、逆に性犯罪が増える、つまり、エロマンガ等々には、『抑制』効果があると、データーで出たとしても、例えば、実際に性犯罪の被害にあった人は、加害者がエロマンガなどを読んでいたら、データーがどうあれ、相関がどうあれ、絶対に割り切れない部分があると思います。私は、独身で、当然、子どももいませんけど、自分の子どもと同じ年の頃の子どもがマンガの中とは言え、酷い事になっていたら、やはり、許せない部分はあるかも知れません。
そのような視点が足りてないと思いました。なので、表現規制のアレコレにまつわる面白いエピソードをコメディ化する部分では成功していると思うのですが、それ以上の部分は…??台詞に現れてないだけで、出演者等々の問題意識などは、聞いてみないと分からないのですが…。
ただ、演劇の感想としては、「私はそう思った」訳です。演技で行われている以上に、考えさせられる部分が大きいので…。
演劇で大事な部分。
先述の『足りない』部分で、実は、規制反対に関して『声を上げれない』という部分は、実は、ラストシーンで『補間』されていて、作品としては、結構、バランスがとれているのだな…と思いました。ただ、ラストシーンで笑いをとりたいのか、そうでないのか、笑う客と笑わない客(私)で考えているモノが違うのか?と、色々、考えましたが…。ただ、ラストシーンで笑いを起こさせない、というのが、完成形なら、まだ、そこに達してないですし、また、笑をとるにしても、私は笑わなかったので、そっちでも、成功はしてないと思います。
後、今回は『演出』という選任ポジションが出来たり、後、多分、上手な役者さんが集まったのか、前回よりはクオリティという意味で、出来がよくなっていたと思いました。ただ、私自身が『上手な演技』とかに、そんなに興味がなくなっているのもありますが、なんとなく感じたのは、演劇は、『台詞(声)』、『演技』、『演出(だんどり)』だけが大事な部分ではないのだな…と思いました。
ちょっと抽象的ですが、例えば、『視点』の部分かも知れません。後、どんだけ頑張ってダンドリをつけても、脚本が演出や演技で良くなることは、ないのだろうな…と思いました。気持ちの良い脚本の構成とか、構造とかは難しいと思うのですが、多分、「脚本+演技×演出=面白さ」じゃあなくて、「脚本×演技×演出=面白さ」なんじゃないかな?と思ったり…。それは最近、「絵だけ面白いマンガはないだろうな」とか、考えていたことに通じる気がしますが…。
まぁ。脚本の構造的な部分だけじゃあなくて…それは、足りない部分かも知れませんし、関係者の問題意識かも知れませんし、世相かも知れませんし、私が捻くれているのかも知れませんし…昨日感じた、言語化できない『大事な部分』というのを、演劇に関して考えてみても良いかな?と思いました。
まぁ、私が、次にやるのは、そういうのとは違うことのように思えますが、心においておいても良いかも知れない。そんなことを久しぶりに演劇を観て感じました。自分も演劇に関する興味が残っていたのだな、と思いつつ。それでは、また、お会いしましょう。
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非実在少女のるてちゃん(第11次笑の内閣)の感想 2年経って、私の演劇を観る視点も変わったみたいですね。
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