タイトル:ワンピースは社会的なテーマを込めているか?
「社会的なテーマは込めてない」って尾田先生は言っているらしいけど、魚人街くらいから、「マジかよ!?」って思い出した。
「社会的なテーマ」はほんとに込めてないような気がするな。物語を描く上で、現実社会にもある問題なんかを描くことはあれど、それについて問いかけるというようなところはないような気がする。
「天竜人」とか「ゴアの街」の貴族なんかは、身分制度という、歴史的な問題を取り入れているけれど、天竜人や貴族の造詣が極悪すぎて、たんに勧善懲悪で楽しめるようにしているような気がする。ゴアの街の貴族の女の子が、性格が顔面に出ているような不細工デザインで酷い台詞を吐いていて、なんというか逆に差別してる感じがありありとして引いたんだけど、それは難しい話に持ち込ませないような工夫なのかもしれにあ。
ただ、現実社会にある問題を想起させるだけで、一つメッセージ性があると思う。魚人街の時の、ネットの声では、「マンガ読みながら(人種)差別問題とか考えたくねえ!」とか、そんな感じのアマゾン・レビューもあったそうな。
それを何とか消そうとしてる感があるんだけどな。そもそも出しちゃってる時点で、ダメなのか。
ただ革命軍とかを出す時点で、世界の歪みのようなものを書かなければならなかったのかも。世界政府を悪者にする為に、そういうものが必要なのか。
思い出したけど、ホーディの正体に関する部分、実体験の伴わない怨みのような感情の暴走が、現代のネット的な部分を感じさせて、2ちゃんねらーがワーワーと言っていたな。例えば、ジャンプのバトルマンガでは、ブリーチとかは、個人の感情以外の、死神と虚の対立とかあるけど、なんというか、現代の設定のマンガなのに、社会の問題を感じさせるようなことは出てこない。世界設定とかは関係なくて、人間の感情等々を追っていくと、そうなるのかも知れないが…。ブリーチをDisっている訳じゃあないけど…。
いろんな敵キャラを考えるにおいて、敵の心情や動機も考えんといかんのかもね。悪!といってもいろいろあるわけで、DIOの邪悪さと、プッチ神父の邪悪さは、また違う。
魚人街で言うと、街の背景と、人間との関係と、歴史と…考えたら出てきたことなのかも知れない?では、なぜ、魚人街のシリーズが・・・と考えると、古代兵器や海王類と絡んでくるからだろうか?さらにうと、アーロンパークの話は何年前やねん…となると、脱帽ですなぁ。
魚人と人魚をまず考えて、魚人の敵キャラを考えたときに、人種差別が出てきたのかな。
アーロンパークの時点で、ジンベエの存在もあって、いやその前にタイガーの話は、世界政府(天竜人)に関係しているから……ややこしいな。
俺、オハラのバスターコールが世界情勢の『〇〇〇カは正義』みたいに思えて、読んでて泣いたんだ。
なんか、そんなん言ってたな。詳しく。
この記事参照→バスターコールに泣きウソップが一味に戻った時に泣きました(ワンピース読書感想文)
これ読んだ時もよくわからんかったんだな。最近の日記関連と合わせて考えると、大きな力を持った人間が、正しいことという認識で、弱いものを攻撃してしまうとこらへんが心にきたんだな? 多数決の世の中というか、多数が少数を排斥するような実社会と結びついたってことかな。
まぁ、ぶっちゃけて言うと、世界の警察、正義の代行者とも言えるアノ国が、中東に対して、大量破壊兵器があると、インネンふっかけたけど、なかった・・・というあたりですね。実際、オハラの古文書解読の詳細は忘れてしまったけど、一方的に危険視して、非戦闘員も巻き込んで、島一つ滅ぼす…というあたり。
ああ、なるほどなあ。それは考えてなかった。符合を考えてしまうかもなあ。
こんな話を熱くなって、母親に語ってみたら(酔ってた)、「考えすぎちゃう?」と言われた。
トラックバックURL
https://yarukimedesu.blog.fc2.com/tb.php/4406-0475c0bd