毎度御馴染み創作雑談です。黒字が私こと、ナカノ実験室で青字が『だって、思いついたから - 文投げ部』の朝飯抜太郎です。ジャンプ感想以外にも、小説とか書きますが、「なぜ書くのか?」というような話題をしてみました。
私は小説を書く前に『脚本』を書いていたから、ト書きのある脚本みたいな感じで、書き始めたような気がする。では、何故、脚本を書くのか?というのを思い出してみると、演劇部にいた訳だから、書く必要性…じゃあなくても、書けば「発表する機会」はあったように思える。小説にしろ、脚本にしろ、やり始めた頃の、言葉が物語を生み出す興奮というのは、いつの日か、普通となってしまって、感性が鈍っているようにも思える。
そういう時に「何故、小説を書くのか?」を考える事は、意味があるように思える。
「言葉が物語を生み出す興奮」というのはわかる。何でもない文章でも、そこに人を書いたら、人が動いて、話している世界ができると考えたら、すごいと思った。昔から本とか漫画を読んで、そこに表現されている世界に入るのが楽しかったから、それを自分でやれると思うと、すごく世界が広がったような感じがしたなあ。
ブログに小説を書くようになったときは、また目的が変わって、今はまた違う感じになってきている。
演劇の場合は、初めて自分が書いた台詞を人が読んだ瞬間があったと思うのだけど、もう、忘れてしまったな。初めては忘れたけど、読まれる度に恥かしかったのは覚えている。ブログに書いた時は、最初は、あんまり、意識してなかったけど、最近は、数量的に分かる「読まれた回数」とかを意識してしまっている自分がいる。書いたからには読まれたいけど、それが最初の動機か?と言えば、ちょっと違う気がする。
もっと尖って脚本を書いていた頃は、頭の中に思い浮かんだことを書き出さないと、ずっとその事が頭の中を巡っているような、そんな感覚もあったな。
できれば、自分の中にある創作に対するモチベーションは整理して、コントロールしたいと思っているけれどうまくいかない。
最近では、上のが大分満足してしまって、創作モチベーションに繋がらない。
あるのは
とかかなあ。
それだと、さびしいような気がする。
モチベーションの部分は、演劇で得ようと思っている承認欲求に近い気がする。特に本気で書く時は。後、小冊子以降は、再販可能なコンテンツを作る欲求も出ているかも知れない。演劇の再演ほど手間かからないし。
世界の創造は…どこかで自分の中でブレーキを作っている気がする。ワンピースとか、銃夢以上の世界感って作れそうにないな…みたいな。
ゴールと言うか、自分の能力以上で自分が満足できる世界があると、やる気がなくなるのはわかる気がする。
一度、白地図で新しい地球とか、太陽系を含めた地図を書いてみたいとか思う。尾田先生は、ワンピースの中で語られないかも知れないけど、ワンピース世界のある太陽系くらいは考えているかも知れない。
月と地球を考えてるしね。
本気で地図とか書こうと思うとすごく色々なことを勉強できたりしそうだな。地形の意味とか、地形による文化とか。よくトールキンの指輪物語とか、緻密な世界観とかで聞くよな。
世の中には『地図好き』の人もいるからねぇ。ドラクエとかでマップを考えている時とか超楽しいだろうなぁ。小学生の時とか、落書きノートに俺・世界地図とか書いていたけど、全部埋める前に力尽きてたな。
白地図という場合は、人物相関図にも言えるかも知れない。小説に書く部分以外も考えといたら、広がるかもね。
昨年2012年末に小説同人冊子を作っていた時に考えたことを雑談した感じです。
論題:小説の書き方のスタイルには自己投影するかしないかがあると思うがどうだろう?
小説の書き方のスタイルには自己投影するかしないかがあると思うがどうだろう?(オンライン雑談)
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