ことない?
駄洒落ばっかりになるなあ。
ネタで書く時は、そのネタを考えるのは一つの楽しみだったりする。いかにダジャレを含めるか。真剣に書く時は、自分の中で、しっくりするモノを探すかな。そもそも主人公には設定されてなかったりすることは多い(名乗らない、呼ばれない)。後、好きなマンガ、小説から拝借することも多い。最近、書いた小説ではツグ(鶫)、ユーラ、とか高校時代に読んだ小説から。『鶫』は『ニセコイ』からだし。
小説とか漫画からつけるのもありか。
なんかしっくりこないときに、名前を考える時間が無駄なように思える(それも楽しめばよいのかもしれないけど)
よっぽどの長編じゃあない限り、名前はキャラの識別くらいにしか意味を持たないかも知れない。名前から着想したら別だけど。マンガや小説から借りてくるのは、もしも、同じソースを思い浮かべることができたら、作品の外のファン意識を共有できるかも?という狙いもあったりする。
音から漢字と字面で決める楽かもね。
例:まさきせいいちろう→柾亀精一郎
まぁ、だいたい、そんな感じで皆、決めるのかも知れないけど。
会話文って、現実とはまた違うそれぞれのファンタジーが入っているように思う。かっこいい台詞、コント調のやりとり、説明的な長台詞などなど。
その中で、受け付けられないイタイ会話、こんな雰囲気の会話が好きとかあるような気がする。
基本的に『会話文』がそんなに好きじゃないかも知れない。苦手というか。嫌いなことはないけれど、使わなくて、少なく終る方が好みかも知れない。
会話文を書く時は、多分、自分が声に出す、誰かに台詞として言わせることを想定して書いていて、演劇の稽古場だと『演出』として説明する部分を含んでいるのだけど、地の文で表すことが少ないから、伝わってないかも知れないな(いいけど)。
後、テキトーに書く時は、多分、既存の作品を意識して『ぽさ』を出そうとしたりするけど、そういう時は、ささやかなDisが含まれている。
よく女の子の台詞を書いて、吐きそうになったとか書いてるよな。その感覚はよくわからなくて、不思議だった。Disというのは、そのあたりも関連してるのかな。
創作の中の女の子の台詞は理想化されているというか、「現実にはいねぇよ!」という感覚があるのだけど、世の中には破廉恥な人間(男)もいる訳で、そういうのが連想されて「吐きそう」かな。多分、異性の台詞を書く時は、なんらかの部分で、逆の心を持っておかないと、羞恥心を失って書きそうで怖い。
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