ゲームも創作の一種と考えて。もう何年もプログラミングとかしてないけど、Basicとか使い出した頃は、「なんでもできるゲーム」とか面白いのじゃないか?とか考えていた。たけしの挑戦状のスゴイ版とか。「どうぶつの森」とか、そんな感じかも知れない。
RPGとかなんでも、最強に面白いゲームというのを考えてみたいと思った。実際に作ることを考えると、心にハードルができるから、作れなくてもよいように思える。
おお、楽しそうな話題。
しかし、最高に面白いゲームを作る!という思いは、高校生でBasicを覚えてから、周期的に発生するのだけど、自分の主観さえ、ふらふら変わるので難しい。今も周期的に、ゲーム作ろう!と思って、考えて、仕組みを詰めていったとこらへんで、気持ちがなえてくる、という繰り返しにあるなあ。
RPGとか腰を据えてやるのが億劫になってきたりしてるのはなんでなんだろうな。
最近は、手軽にできるゲームをずーっとやってた。おかげで、気持ち悪いハイスコアを出している。
こういうミニゲームで、何度もやろうと思うゲームは良いゲームだと思う。
ポイントは以下のとこらへんだろうか。
①一回のプレイが短い
②作戦を考える余地があり、作戦の効果が実感できる。(プレイを改善できる)
③運の要素がある(次は行けるかもしれないと思わせる何か)
④スコアを挙げることの意味(クリアという文字でもいい、ランキングでもいい、ストーリーが見れるでもいい。0ではない何かがあればいいのではないだろうか)
ミニゲームの面白さは、最近のスマホのゲームに面白さに繋がるかも知れないな。やったことないけど。短時間、瞬間的な面白さもゲームとしては重要か。ただ、短期間の面白さは、中毒性も帯びる気もする。それも良いかも知れないけど。元がRPG好きだから、データー的な蓄積が好きなのだけど、プレイ経験の積み重ねとか大事かも知れない。
プレイ経験という意味では、落ちモノゲームでは、テトリス、ぷよぷよ、コラムス辺りで経験が積み重ねられて、その経験は今も生きている気がする。
戦闘が面白いRPGは戦闘経験が戦略に繋がり、繰り返しプレイをする楽しさに繋がる。先日、『分裂ガール』というフリーゲームを数年ぶりにやってみたけど、ちょっとやると「どう戦うと有利か?」を思い出せた。ストーリーとは違う部分。プレイした経験が活きるのは楽しかった。
プレイ経験の積み重ね、というのは大事だと思う。ミニゲームのポイント②に書いたとこらへんも同じだと思う。プレイ経験が、次のプレイの改善につながることで、嬉しさみたいなものを感じるからかな。
かつての、FC時代のジャンル分けだと、アクションやシューティングなんかは、プレイ経験重視のゲームのような気がする。魔界村とか、難しいけどタイミングや敵の位置なんかを記憶して、操作も熟練していくことで前に進める。
それと対照的に、RPGというのは、プレイ経験を、ゲーム内データに置き換えているような気がしている。時間をかければ、LVやお金がたまって、先に進めるようになる。うまくならなくても、クリアできる。反射神経とか苦手な僕は、そういうところでRPGが好きだったように思う。
RPGに関しては、中学、高校と「RPG絶対主義」みたいな感じというか、メジャー・メジャーを追い続けたのは、ちょっとゲーム人生的には勿体無かった気がする。物語性って、そんなに大事だったのか?とか思ったりもする。勿論、ドラクエもファイナルファンタジーも好きなのだけど。
経験をデータに・・・という部分は、初代ゲームボーイ時代のSaGaが好きだった。今思えば、本体とカセットとコントロール部分が近い、一体化しているから、まるで『ロム』が強くなっているイメージがあった。今は、メモリ上のデータの上げ下げ、変更だと分かっているから、その感覚はなくなったのだけど…。今は、DSをやっているけど、当時の感覚は、もう起きないかな。
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