ザ・ルサンチマン
京都府立大学は喫茶部にて、制作作業中なのだが、自主ゼミとやらが行われている。
この記事は純然たるルサンチマンだ。
喫茶部とは、いわゆる、公共スペースで、だからこそ、私は原稿等々を広げて整理をしていた。
場所取りも自由で、自主ゼミだって自由なのだが、今いる自主ゼミは何か違う。座る場所はあるけど、光量の関係で窓際のテーブル席に移りたいと言い出したのだ。
ゼミ以外の用事で、来ている人達は当然、遠慮の距離だけバラけて座っているから、移動しないと行けないし、自主ゼミのトップ、恐らく教員が、その旨を我々に言って来た。
気になる部分がある。
①自主とは言え、ゼミなら教室か研究室でやるべきだ。
②多人数が集まり、場所も必要なら、場所取りを用意するか、張り紙でもして席をキープしておくべきだ。
③自主的に勉強するなら、「場の公共性」くらいは心得ておいて欲しい。
どういう理由で、喫茶部を選んだのか分からないが、行動の結果だけ見ると「目的の大儀と、数の力、人の良心に頼って、人を押しのけた」って事だ。
私が移動するなら、移動するだけの理由を聞きたかったが、そんな些細な事で波風を立てるような雰囲気は、京都府立大学には、ない。もっともよその大学の事は知らないが。
何故、ここまで考えるかと言えば、聞いていると、「小学校」、「幼稚園」、「障害」といった単語が聞こえてくるからだ。教育関係のゼミか?
場の公共性と、人の心、場所を占有する手順くらいは、抑えておいて欲しい。
彼らに限らず、学問という大儀に目を奪われて、社会生活に大切な部分を落としている人は割といる。
ブログ村ランキングです!
応援お願いします!
にほんブログ村
↑ジャンプ感想ブログランキングもチェックできます!
スポンサーリンク
…この文章は、携帯で送ったのだが、どういう奴なんだろう僕は…?物事は、順調に行っているのに、この追い込まれ感は一体なんだろうか…?
スポンサーリンク
読んで欲しいです!自薦記事。
この記事の前後の記事。
同じカテゴリ内の前後の記事。
そろそろ別のサイトへ→
退出口