気について考える ~パワースポットに関して
ブログ記事によく、パワースポットという言葉が出てくる。一応、神秘的な領域なのだが、私は、一応、理系の人間で、演出をする時も理論的な方であり、パワーや気という漠然としたモノは、割と否定的な方であると思う。
しかし、実際に出雲神社という特A級のパワースポットを訪れてから、その感受性が開花したのか、正解不正解は分からずとも、パワーを感じる事が出来るようになった気がするのだ。
たとえ、漠然としていて、言葉で説明しにくくとも、実際にそう感じる事は、否定出来ないだろう。人を愛する事だって、漠然としているが、人類は愛を求めて病まない。せxしたいだとか、家事をやって欲しいだとか、そんなのは後付けの理由だ。
さて、話がそれたが、パワースポットに入った時の体に感じる事と言えば…。
・背中のあたりがざわつく。
・手の先がジンジンする。
と言った感じである。最近、気付いたのだが、京都市内には神社や寺が沢山あるが、それらが必ずしもパワースポットとは限らない。考えれば、神社や寺は、神主さんお坊さんの住居であり、必ずしもパワースポットである必要はないし、人が集まれば、お葬式の関係とかで、お坊さんが必要になる訳だ。
だがしかし、そこが元々、パワースポットであるために、神社が建てられた場所だってあり、それは、私の実家の近くの出雲神社じゃないかと思う。周りに、住居は少ない。
で、パワースポットの周辺の様子を考えてみると。
・日があまり入らない。
・大きな岩がある。
・水が流れている。
・樹が生えている。
・人為が加わっていない。
・風が、あまり、吹かない。
という事だろうか。これらの条件がある程度、そろっている所は、パワーが出ていると思われる。上賀茂神社も、比較的パワーを感じた。人為こそ加わっているが、樹が生えていて、日光が遮られているからだ。
さて、気というものを考えた時に、それは「雰囲気」というのが一番分かりやすいと思う。ようは、「よい雰囲気」というのが、気が出ていると考えられるのだ。その考えをもとに考える次のような事が分かった。
・アスファルトは、気を発しない。
・砂利も気を発しない。
・コンクリートも気を発しない。
・ただし、苔が生えてくると気を発する。
・金属は、気を発しない。
・錆びた鉄は、独特の気を出す。
これらを考えると、アスファルトやコンクリートで囲まれた都市は、気がほとんどないという事になる。気を発しないというよりも、マイナスの効果がある。だから、都市部においてスピリチュアルな体験は出来にくくなっていると思うのだが、でも、逆に物の怪の類も出なくなったのではないか…?
錆びた鉄も人を魅了するが、それは、邪気の類かも知れない。
さて、今回の記事は少し宗教色を帯びたかも知れないが、よく知らないが、風水とかは、こんな感じなのじゃないかと勝手に思う。大事なのは、信じる信じないよりも、感じる事と、考える事じゃないだろうか?一度、頭の中に立ったアンテナは折りたたむ事は難しい。このパワーを感じる感受性は、何か良い効果をもたらすだろうか…?
参考
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