「ニッポンの書評」豊崎由美・書評?感想?読んで思ったこと?乱れ蝙蝠の365書10。
はじめに(ナカノ実験室)。
今回も友人の乱れ蝙蝠からの寄稿です。記事タイトルは私がつけるのですが、今回ほど、迷ったことはありませんでした。以下の文章で、その理由が分かるかもしれません。
乱れ蝙蝠の365書10「ニッポンの書評」豊崎由美
「批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです」
「物語には弱った心を支える力や現実に吹き消された希望の灯りをともし直す力、自分とは違う誰か、此処とは違う何処かに思いを寄せるための想像力を培う役目があると信じています。」
豊崎由美さんは1961年生まれ。ライター、ブックレビュアー (書評家と呼ばれるのは好きでは無いようです。)文芸誌や女性誌で書評を連載。ファンも、またアンチも多い書評家の一人だが、一切遠慮しない歯に絹着せぬ「猛毒舌」書評が有名で、相手が大物作家だろうが新人だろうが一切容赦せずバッサバッサ斬りまくる。この本の中でも自分で「地雷踏みまくり」と言っている通り、アマゾンでカスタマーレビュー書いている一般人から、新聞に書評載せている大学の教授まで斬りまくっている。
批判した大学の教授
との論争も終盤に掲載されている。まさに「闘う書評家」の本領発揮だ。
特に「失楽園」で有名な渡辺淳一の小説を酷評し、渡辺淳一が激怒して連載を降ろされたという逸話は有名。しかし、それも本を愛しているが故である。もちろん絶賛している時もあるけど、ファンが期待しているのは豊崎さんの毒舌なんですよね。私もこういう言いたい事を遠慮せずに言いまくる人が好きなので、つい期待してしまいます。
この本はその豊崎さんが「書評」とは何か、日本と海外の書評の違い等を書いた新書です。
興味深かったのは、書評も一つの作品でその人の個性が出るということだ。
「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない。」
という通り、書評は何でもあり、いかように書いても自由なのである。また、「批評」と「書評」は違うというのも面白かった。
「批評は対象作品を読んだ後に読むもので、書評は読む前に読むものだ。」
書評は常に読者の為にあるのである。読者に寄り添ったものでなければならない。堅苦しくならず常にユーモアがある物でなければならない。これから読む読者の為にその本を薦めるという役割がある。いかに精読した後の書評であろうと、ネタバレは許されない。豊崎さんはネタバレありの書評を「ペンの暴力」と厳しい言葉で批判する等、非常に批判的なのだ。書き方こそ自由だが、字数が少ない事やネタバレが許されない等、書評は制約が多いジャンルだが、それゆえに自分の能力をより発揮出来る。密度が濃いのである。海外では 読者の為にある
「書評」がさほど発達しなかったが、日本では「書評」と同じく、字数等の制約が多い短歌や俳句が発達しているので、その流れもあるのかもしれません。
また、海外では一般の人に向けて、本を薦める目的で書かれた書評は発達しなかったようだ。一般人に向けて書かれた「書評」が日本で発達したのは、日本人が本をよく読むからだと肯定的に受け止めたい。
豊崎さんは、
「今もかつても変わらないわたしの書評観」
として、
1、自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するような「オレ様」書評は品性下劣。
2、贈与としての書評は読者の信頼を失うので自殺行為。
3、書評は読者に向かって書かれなければならない。
と3つの禁止事項を述べているが、今まで私がここに書いてきた本の感想にそういった部分が全く無かったかというと嘘になる。紹介している本と特に深い関連も無いのに、他の本のタイトルも持ち出して
「俺はこの本も読んでるぜ。」アピール。
うわあ、痛い痛い。
恥ずかしいです。
こういう書評は書評にたいする冒涜とも言えるかもしれない。気をつけます。
書評を自分の思想や価値観を伝える手段にしてはならない。
ネットで本の感想書く人は「書評」なのか単なる「感想」なのか立場を明確にする必要があるなと思った。「書評」だったら、ネタバレにたいしては厳しくならなければならない。
まだ読んでいない人にこの驚きを伝えたい!という気持ちが逸ってしまうと、ネタバレ部分に触れてしまいそうになりかねない。でも、どこまでばらしていいのか、どこからばらしていいのか、これは非常に微妙な問題だ。ジャンルによっても違ってくると思う。
ちなみに、豊崎さんはネット書評やアマゾンのカスタマーレビューにたいして
「匿名ブログという守られた場所から、世間に名前を出して商売をしている公人に対して放たれる批判は、単なる誹謗中傷です。批判でも批評でもありません。」
とかなり批判的で、「愛情を持って紹介出来る本のことだけ」を書くべきと主張している。アマゾンのカスタマーレビューの1つを引用して酷評しているくらいだ。確かにアマゾンのカスタマーレビューには
「自分の好きじゃないもの、理解できないもの=駄作」
という価値観から書いている物が多い。中には読んでないのに星付ける人、あげくの果てには、
「状態が良かった」
「綺麗だった」
という理由で星付ける人もいた。
そういう事を評価する場じゃねえよ!!
アマゾンのカスタマーレビューはその本の売れ行きに影響を与えるかもしれない。その事を自覚せずに短絡的で的外れな事を書いてはいけない。責任を持って書かなければならない。自戒の意味をこめてここに。
ただ、じゃあネット書評では、的外れな物でなくとも批判的な事を書くのは一切許されないのか?そこまで高いレベルが求められなければならないのか?
といった疑問もわいて来る。
意見が分かれるとこだと思う。
しかし、やはりネットでこれだけ書評が消費されている事が原因で、書評という仕事が軽く安く見られている事の危惧を覚えた。最後の対談で豊崎さんがいろいろ改革案を述べているとおり、書評という仕事も曲がり角に来ているのだろう。やはり、ネットの発達が良くも悪くも「書評」の立場を変えつつある。しかし、ネットに溢れる、安っぽい感想文と何ら変わりない「書評」とは違う本物の「書評」はあるものだ。我々人間が物語を求める限り書評もまた求められるだろう。ちなみにこの本は主にフィクションにたいしての書評について論じているが、ノンフィクションに対する書評についてはほとんど書かれていない。そちらについても読んでみたかったかもしれない。
豊崎さんの自分の仕事にたいする矜持、プライドも垣間見る事ができ、トヨザキ社長(ファンによる愛称)ファンなら必読。また、ネットで本の感想等を書いている人も必読。
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「誰もがそういう、むかし自分が死んだ家を持っているのではないか。ただそこに横たわっているに違いない、自分自身の死体に出会いたくなくて、気づかないふりをしているだけで、」
ご存知ベストセラー作家東野圭吾の初期の作品。
感想:東野圭吾「むかし僕が死んだ家」が無茶苦茶面白い!(乱れ蝙蝠の365書8)
山本文緒さんは、1962年神奈川県生まれ。OLを経て、ジュニア小説でデビュー。その後、一般文芸にも進出。主に大人の女性心理を書いた短編で有名。私生活では離婚や鬱病を経験している。この短編集の最後の短編「小説」は、離婚した主人公が私には小説しかないと決意する話だが、おそらく自分自身の事を書いたんだろうな。
感想・ファーストプライオリティー(山本文緒)乱れ蝙蝠の365書9。
おわりに(ナカノ実験室)。
インターネットに溢れる感想、書評に関して切り込むことは壮大なブーメランアタックになりうる気もするのですが。私はマンガや演劇に関しては、批判、批評などは書かないようにして「面白い」部分を探すようにしています。
しかし、文章自体のクオリティー等々は、自由であった方がいいと思います。インターネットは、完成されたものを発表しあう場ではなく、色んな年齢の人が、色んな発信をする。だからこそ、玉石混交であり、石を玉と思ったり、玉を石と思ったり、そういうのでいいのじゃないかな?と。
ブログに書く記事も、「面白かった!」という1ツイートも、どちらもいいのじゃないかな?と。まぁ、読んでてしんどくなる、マンガ(ライトノベルなども含めて)にヘイトテキストもたまに見かけたりしますが…。
あと、自分がどう思ったか?を文章にする「感想」も、また素晴らしいモノだと思います。
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