四条大橋のあたりは、人に逢いたくなる場所のようだ。
6月29日の日記。
この日は、関西大学へ行くために、阪急の河原町の駅に行くために、四条河原町のあたりに行った。少し前から、主に、ビラ挟み込みの関係で、京都の北の方にいる私が、割かし南に行く事が多い。
パワースポットとか、そんなのを感じるようにしている私は、南の方に行くたびに思うのは、「全然、パワーがねえな。」って事だった。しかし、いわゆる、出雲神社等にある神聖な、正のパワーではないにしろ、何かを感じる。
それは、多分、「魔」だ。
今日行った場所が、「木屋町」のあたりだったから、特にそうなのかも知れない。人が多く、車も多い。日差しも強い。パワーは、どんどん揮発して行くのだろうけど、「魔」が溜まっていく。
お店も多い。ビラを撒いている人もいる。観光客も多い。つまり、人の作為も渦巻いている。つまりは、「魔」だ。
四条大橋のあたりは、「魔」で充満していた。今でこそ、人工物がほとんどだが、もともと、「魔」が吹き溜まりやすい場所だったのかも知れない。
そんな、「魔」の中で、四条大橋から北の景色を眺めてみた。町全体が「魔」に覆われているのがよく分かる。その「魔」にあてられたのか、人の流れを見ていると、ふいに、人に逢いたくなってきた。また、「世の中の人間は、どれだけ幸せな恋愛が出来るのだろうか?」というセンチな気持ちも。
木屋町と言えば、風俗街なわけだが(あんま知らないけど)、そんな「魔」も、木屋町が木屋町である所なのかも知れない。
ちなみに、「パワー」だとか「魔」だとか、そんな記事も最近増えてますが、別に「イッて」しまった訳じゃなく、街や自然物から感じる事を、言葉を用いて表現しているだけです。別に、何かの宗教を始めたとかではありません。我々に親しみ深い感覚の「味覚」でさえ、言葉で表現するのは難しい訳で、感覚を言葉にするのは、やっぱ、難しい訳なんですよ。
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