一気喰いを考える。
最近、一気喰いをしない。「一気喰い」という言葉も使わない。
子どもの頃、何かと一気喰いをしていたと思う。ちなみに私の一気喰いのスタイルは、口の中に放り込んで、牛乳で流し込むというスタイルだった。味なんか分からない。
一気喰いをする時は、大抵、嫌いな食べ物があった時。嫌いな食べ物を最初にやっつけるか、残すかは、物議を醸し出しそうだが、私は最初にやっつける派だった。
とにかく嫌いな食べ物は、一気喰いをしていた。母の作るちらし寿司が嫌いだった。本当に嫌いで、あんまり覚えてないけど、「吐くくらい嫌いだから、食べたくない!」とか言った気がする。すると、母がえらく怒り、泣きながら一気喰いをした覚えがある。
皿一盛りのちらし寿司を…。その後の事は覚えてないのだが、自分の料理をそんな食べ方をされた母はどう思ったのだろう?
それに限らず、一気喰い後の記憶はあまりない。一つ試練を乗り越えた後からだろうか?子どもの頃の食事は、今思えば、拷問みたいなものだったのかも知れない。
さて、一気喰いだが、食べ方としては体に悪いと思うのだが、その事を咎められた覚えもあまりない。ともかく、食べてしまう事が重視されたのだろうか?何らかの余裕のなさを感じるが、それが懐かしくもある。
大人になった今、一気喰いをする事もなくなった。嫌いな食べ物自体なくなったし、外食の際は基本的に好きな食べ物を食べているはずだ。そもそも、酒やらタバコをやる人間は、ほとんど不味いと思わないのじゃないかな?子どもの頃、好奇心で缶のウイスキー水割りを飲んだら、飲み込めず、その場で吐いた。今はごくごく飲む。
本当に、一気喰いをする事がなくなった。結婚して、奥さんが破滅的に料理が下手だったら、一気喰いするのかな?だったら、俺が作るかも知れない。
余談だが、漫画「ボボボーボ・ボーボボ」の中で、敵の罠かなんかで毒入り料理が振る舞われた時に、「一気喰いなら…!」と一気喰いをするシーンがあったと思う。毒が入ってるなら、一気に食べても何も解決しない※と思うのだが、一気喰いには、確かに、こういう意志があると思う。作者の澤井先生は、一気喰いのスピリットを理解していると思う。
※カウボーイ・ビバップ劇場版に出てきた話では、「嫁の不貞を暴く豆(毒)」があり…
やましい事がある女は、ゆっくり食べる→毒が回って死ぬ。
潔白な女は、一気喰いをする→むせて吐き出す→助かる。
なんて話があったが、ボーボボで出てきた一気喰いは、むせるとかじゃなくて、「一気に食べたら毒が効かないかも知れない…!」というものだと思う。一気喰いは味を感じない、味→毒への置き換えみたいな感じで。
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