いじめを傍観しないという提言
いじめを傍観しても、いじめを行っている者と同罪という提言がなされたそうな。言葉のニュアンスは違うが、ともかくいじめの傍観はやめよう!って事だ。しかし、傍観せずに「いじめをやめなよ。」と言えたり、先生に知らせる事が出来る児童、生徒はどれくらいいるのだろうか?下手に先生に言うと、「チクリ」としての報復を受けそうだ。私自身の中学時代を考えると、クラスの強者には10人で束になってもかなわないと思えるくらいパワー差を感じていた。
私は、通学の関係で電車に乗っているが、マナーが悪い若者はよく見るが、注意する大人はいない。私もしない。傍観が基本だ。大人だって、そんなモノだ。
傍観がどうとかでなく、いじめの根本問題、社会に潜む問題も考えないといけないと思った。そう思うと、テレビの影響も強いのかな?と。毎日のように、容姿等がネタにされている。では、テレビから、いじめに繋がる表現を削除すれば、いじめが無くなるかと言えば、それは分からない。テレビの内容も人間が考えて、人間が演じているからだ。
テレビに限らず、色んなメディアにも毒気が溢れている。問題は、その毒と、どう付き合うかだ。テレビで、いじめが行われても、それはお仕事でやっている訳だ。テレビは映っている事しか分からないから、その裏側を疑えばよいと思う。
後、基本的には、「人が嫌がる事はやらない」って事なのだろうか。今、思えば私は小学校の時に、いじめの輪に加わっていた事があるが、あの訳の分からないパワーは何だったのかな?明確に覚えてないが、「悪いこと」とも思ってなかったような…。
あ、さて、「いじめの傍観はやめよう!」と言う提言がなされたが、かなり、今更な気がする。そういう精神的な事じゃなくて、もっと機械的な方法の方が効果があると思う。それとも、小・中学生のうちなら「傍観根性」の形成を阻止出来るのか?
さて、機械的と言えば、クラス分けとか、本人の希望を重視するとかね。なんとなく「クラス分け」は、「誰とでも仲良く!」ってスローガンの下、ランダムに行われていた気がするのだが、無理なものは無理だし、クラスに友達が1人いれば、救われる所もあるかもしれない。もしくは、「誰とは一緒になりたくない」とかも聞く。
…しかし、こんな事をしても、どこからか、何かしら、いじめは発生しそうな気がする。いじめを無くす方法は、あるのだろうか…?
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